最初というか・・・

文のお題 (日替わり)
最初に思いついたことを書き出してください。

 先ず最初になんとも抽象的な誘いで、また釣られてしまった。

 実は三回見て、流そうかと思ったのだけど・・・
 どのタイミングを持って最初というのかに悩んでいた。
 大体ね、思いついたら行動すべきであって、「書く write」ではなく「する do」でしょ。
 で、一回目はほぼ無感情に無視した。二回目は庭の作業を思いついた。三回目はちょっとした物語と庭の作業の続きと料理のことを考えた。

 で、今が四回目であり、YouTubeの自分の再生リストの「利用できない動画は非表示なっています」の表示を、特定して解消しようという不定期に行う作業を思いついた。
 自分のリスト441本の動画(実質は音楽)は、ほぼYouTubeのTopicであり、準公式の動画だ。
 今は著作者かTopicの動画で再生リストを作っているので、著作権違反で動画が削除されるというより、国ごとの仕様変更や著作者の再編集などで非表示になることの方が多い。
 一つ一つの事情を調べたわけではないが、非表示の動画がなんだったかを忘れてしまうこともある。特に外国の楽曲や民族音楽系とか、自分がYouTubeで初めて知ったものとかは記憶に深く根付いていないからうろ覚えである。それで困っているわけではないし・・・
 その一つがカメルーンのFrancis Bebeyだった。実際どういう人なのか、Wikipedia以上の情報は知らない。生前の彼を知っているわけではない。偶然YouTubeで民族音楽系、特にアフリカの音楽を探している時に知っただけ。で、Topicの動画が非表示なっていた。
 自分は日本語しかわからないので、彼の歌ではなくインストゥルメンタルしか聞いていない。
 歌詞もGoogleればいくらでも出てくる時代だけど、自分の耳は聞き取れないので、外国語は楽器の音と大差がない。なので、詳細な意味よりもタイトル(キャッチ)と雰囲気だけで聞いている方が多い。
 迫力があれば、意味がわからなくても聞いていられるというのもあるけど、Francis Bebeyはそういうタイプの声質ではない。

 日本のYOASOBIもYouTubeですごいことになっていたエンターテイナー。日本語がわからない海外の人はその雰囲気で好きになり、それが自殺をテーマにしているとわかると拒絶する人も現れた。
 結局は、世界中で若者の自殺は隠されているだけで、現実的な問題であり、センシティブだというだけで封じられてしまうのが世の現実でもある。
 良し悪しに関係なく、そういう音楽と音楽のサブカルチャーの化学反応をコメント欄に探すのもYouTubeならではの楽しみ方だろう。
 でも、多くのTopicはコメントを受け付けてないので、そういう反応を見ることはできず、評価と再生数ぐらいしかデータは示されない。もっともリストに入れたいと思った時点で、そういった数字はどうでもいい飾りになるのだけど。

 話は変わるけど、ずっと昔にマクドナルドでベーコンポテトパイを頼んだ、テイクアウトで。
 で、家でチーズバーガーとベーコンポテトパイを食べようとしたら、アップルパイだった。
 例えば、レストランでベーコンポテトパイを頼んだとして、間違ってアップルパイを出してしまうような店があるだろうか?
 マクドナルドのパイは当時アップルパイ、クリームパイ、ベーコンポテトパイの三種で、三つとも同じ形で食べてみない中身がわからない。ミスを誘発するデザインというべきだろうか。
 今はどうなってるか知らない、行かないから。
 普通の飲食店で、ベーコンポテトを頼む客にアップルパイは出ないのではないか?
 デザートとおかずという明確な線引きがある。それが一緒くたにされてしまう飲食店には行きたくない。
 でも、シェイクのために入るかな???

 今は何でもAIに頼る時代だから、良くも悪くも人は求められていない。人は犯罪をするけど、機械は故障やバグはあっても犯罪はしない。
 バイトテロを動画にして楽しむ異常者との共生は難しい。ロシア人や過激な教徒のように人を殺して動画にして楽しむ種族との共生は難しい。
 秘密を持つというのは楽しいけど、秘密を晒して楽しむのは思春期の感情だ。
 最新の定義では思春期は10歳頃から25歳前後だというから、20代前半の人間に、社会の重要機密に触れさせてはならないということだろうか。
 自分の若い頃を棚に上げて、他者を批判する私もひどいね。
 というわけで、高齢者を国家の中枢に残すのもお薦めしない。
 習やプーチンのように権力の虜となり、自分を反省しない存在は国家権力から切り離すべきだ。やはり、政治は60歳を停年として、失職させるべきだろう。

 ね、「最初」をどこで切るのか次第で、永遠に最初が連続するんだよ。時間感覚というのは基準を明示しないとだらだらと続く。
 で、一番最初にこのお題を見た時は感情が動かず無視していて、見たという記憶・認知があっただけ。
 最初を瞬間としてみるか、ある程度の期間なのかなどと考えてしまったのは二回目以降だった。
 それと同時、並行する形でショートストーリーを思い浮かべていて、同時思考に疲れて、庭の作業という現実に思考を全振りした。だから、最近の記事は庭の話ばかりなっている。
 書き始めると「書く」というのに脳が刺激されて、複数のことを思考するのが難しくなる。

 だから「する do」というアクションが大事なんだ。思ったら行動する。具体的な行動が難しい環境の場合に、「書く write」という妥協点に着地する。
 ちょうど、Stand by me が流れている。アクションが伴わない思考は大事ではない。するかせめて書くことをする。
Do something or do writing

 脳には休憩が必要だ。それが眠る時だ。
 寝ていても脳は作業しているらしいが・・・

 とりあえず今日は寒いから呼吸だけして寝よう・・・

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