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神だろう桜の上にも下にも

気になる東

 漢字の夕刻から朝方までを整理したが、日本人としてやはり日の一字に注目したくもなる。
 その前に、自分は東京の人なので、アズマというのが気になる。東という漢字も 木になる日 だし。
 東と書いてなんと読むか? 現代語では ヒガシ が基本だが、他の読みにアズマというのがある。本来の語源としてはアヅマが適当らしい。現代語での発音に違いは生じないが、なぜ ツの濁音 なのか?
 以前から奇妙に思っていたことの一つは、鎌倉時代の公式記録が吾妻鏡とされていること。なぜ東国の支配者を称する鎌倉府が東ではなく吾妻としているのか?
 ネットで調べられる時代でよかったね。
 吾妻鏡の鏡は鑑と同じで記録とか文書といった程度の意味。○○図鑑とか□□年鑑といった使い方と同じだ。
 吾妻の由来は長野県や群馬県にある地名と同じ。ヤマトタケルの東征伝説にある ホームシックで自分の妻を恋しく思った という話に由来する。
 私の妻=吾が妻≒吾妻(アガツマ、アヅマ)、妻が恋しい≒嬬恋(ツマゴイ)ということらしい。勘違いしてほしくないのは、これらは日本語でも大和言葉なので、発音が先にあり、漢字を後で当てていること。だから漢字自体は最悪何でもいい。大事なことはアヅマの漢字の意味や音とは関係がなかったということ。
 このヤマトタケル伝説以降、東国(東日本)のことをアヅマと雅称するようになったらしい。
 漢字そのものとは別に語源から音をもらった日本語は無数にあるが、東京の地名の一つ 東雲(シノノメ)も 篠の目(シノノメ)の音をもらい、篠竹で編んだ格子から漏れる 薄明かりに由来した言葉だ。現代でも格子戸と曇りガラスを合わせたサッシ戸を玄関に使っている家屋が見られる。古代とは全く異なる素材だが、ニュアンスはそういった隙間からいち早く入ってくる朝の光のことである。時計がない時代は太陽と月が基準だ。シノノメは薄明かりというニュアンスなので、東に雲が掛かっているという言葉遊びでもある。

 さて、ヒガシの方が音としては古いらしく、東の漢字の直訳に近いのはヒガシである。「日に向かう」という意味の ヒムカシから変遷したという。「日に向かう田(土地)」で日当たりのいい暖地のことを日向(ヒナタ)、日向をヒムカと読み転訛したのが地名の ヒュウガ(宮崎県の古称)。
 古代の人も地名と地名以外の言葉が同音なのは気持ち悪かったのだろう。

大和言葉では日も火も同じ発音
現代中国語では日=、火=フオ
古代中国語に由来する日本での音読みは日=ニチ、火=

 熊本県を 火の国と呼ぶのも、肥後などのの発音に後から漢字を当てたもの。火山に由来するとも八代海の不知火現象に由来するともいうが、それらを全て掛け合わせたとも考えられる。
 西九州を指す肥前・肥後・肥国の肥は、文字通りなら よく肥えた土地=地味豊かな土地 というニュアンスになる。有明海などの干潟(ガタ)に由来するとも言われている。どちらにしろ、現代の熊本県も農業が盛んな地域で、歴史的にもその豊かさは国防最前線 大宰府を支える屋台骨でもあった。
 肥国熟すれば大宰足る といったところだろうか・・・

 話がそれた・・・
 ヒガシとアヅマの話に戻ると、鎌倉期は武士政権の時代とされてはいるが、その公式記録の名称は皇族の伝説に因む 吾妻 を用いる。
 さらに東夷(アヅマ エビス) と呼んだ東方の異民族を征討する 征夷大将軍という権威を利用した。当時の京都・朝廷から見て東国は発展していない野蛮な人の住む土地であり、アヅマの語には都から遠すぎる悲しさや蔑みのニュアンスもあっただろう。
 今も公園などで見られる柱と屋根だけの東屋(アヅマヤ、アズマヤ)は、東国の粗末な家、田舎の粗末な家という意味から転じた言葉である。ここに日本独特と謙遜などの文化が混ざり、粗末だけど居心地がいい場所、休憩できるところといったニュアンスに変化していく。
 僻地というニュアンスでは 坂東(バンドウ)という言葉もあり、江戸時代の関所の東=関東と呼ばれる以前で、関所ではなくただの坂(山・峠)だった時代の表現である。
 鎌倉府が成立すると雅称のようにアヅマを用い、それ以前の坂東武者という蔑みや侮りを含む表現は次第に減っていく。
 そして、京都を守る関所の東で東日本を意味した初期 関東から、江戸を守る関所の東を意味する後期 関東になり、今日は首都圏として自尊心に満ちた関東が定着した。関東から発する関西の呼称には、時に嫌悪感を伴う拒絶のニュアンスがあったかもしれないし、時には大陸からの最新文化の発信地という憧れのニュアンスもあったかもしれない。
 今日となってはアズマもアヅマもバンドウも見知らぬ過去のサムライスピリット ファンタジーのようなものかもしれない。

 木と日で成る漢字は東だけではないが、他はあまり常用されない。
木の下の日「杳」(ヨウ・くらい・とおい)
木の上の日「杲」(コウ・あきらか・たかい)
 やはり一番使われる漢字は東だろうね。
木の中の日「東」(トウ・ひがし・あずま/あづま)
 方角としてのヒガシ、地名としてのアヅマという使い分けがそのまま残り、語源を忘れて独歩していく様は、言語の本質かもしれない。

春の日に散るものもあり湧くもあり