11月の庭

 11月の世間はハロウィンの所為というか、残念なニュースで始まったような印象だ。

 個人的にはコロナワクチン接種で30日を38度前後で過ごし、翌日には熱は下がったが今もまだモデルナアームの痛みと腫れを楽しんでいる。

 当然庭の作業も停止。剪定は単純な疲労で休止中だったが、鉢植えの植え替えなどをこつこつと進めていた。
 ラナンキュラス、チューリップ、挿木のバラたち、ハイブリッドユリとかの播種、その他諸々の土の入れ替え、雑草処理を続けていた。
 とにかく週末にワクチン接種を予約したので、それまでにある程度作業を進めたかった。

 ブルーシートを敷いてプランターや鉢を引っくり返す。植え替えたい鉢の土を全て混ぜて肥料、腐葉、休眠させていた土も混ぜこむ。
 お金があれば新しい土に入れ替えるべきなんだろうが、そんなことをしていたら破産しちゃう貧乏人だ。庭で作った腐葉土を優先して消費し、買った土や買った腐葉土を温存する。
 10月の最終週は晴れが続いたので、作業は順調だった。雨の気配はなく、むしろ土埃が気になる程だった。
 野紺菊や清澄白山菊が咲き始めていたが、写真も撮らずに黙々と作業をしていたよ。

 何年前だったか、いとうせいこう原作のNHKドラマ「植物男子ベランダー」に出たキーワード「死者の土」というのは、土を捨てようというする人も多い現代日本でとても印象的な言葉だった。
 親のおかげで集合住宅を知らずに庭を当たり前だと育った自分は、土は生死を内包しているものだと感じているので、「死者の土」という考え方自体がとても斬新に思えたのだ。

 例えば「墓」
 現代は遺灰をしまうだけだが、古くは土葬だったはず。子供の頃は飼ってた金魚や昆虫を埋めたりもしたな。
 ケビン・コスナー主演映画「ウォーターワールド」では死者を土に戻そうとするシーンもあった。
 土は動植物を育み、動植物の死を回収する。土は微生物や菌の戦場で、死は生に、生は死に、止まりたる例なく 絶えず循環している。

 菌が誕生する以前は腐敗という概念がなく、死んだ植物がただただ積み重なっていたという。それが長い年月で地中に取り込まれた結果として石油や天然ガスがあるという。
 今は菌があるので地上の動植物の死骸は菌が分解してしまう。だから、基本的には新しい原油は生まれないということになる。

 話が逸れそうだ。
 というわけで、植物に適した土と適さない土の違いはあっても「死者の土」という考え方はとても斬新だと思ったのだ。
 そこでうちの庭では「死者の鉢」というものを用意した。これは土を溜めるためではなく、剪定ゴミを入れるための鉢で、うちの樹木一本の剪定一回分のゴミが収まる。最近は木を小さくする為に大剪定をしているので収まらないことがあるが、そのために「死者の鉢(大)」を準備してある。
 いわゆるコンポストと同じニュアンスだが、ただの大きな果樹用の鉢に剪定ゴミを細かく裁断して溜めるだけのものだ。次のシーズンになったら庭に撒き、新しい剪定ゴミを受け入れる。最近は行政のゴミ回収に出す剪定ゴミは最小限に止めている。
 庭に1箇所しかなかった腐葉土生産スペースを、親の反対を無視して2箇所、というよりも庭全体で「明治神宮の森」方式と称して剪定ゴミをそのまま放置するようにしているのも影響している。
 庭で表土が見えているのは庭の通路と菊など草花がメインの場所だけ。庭木の下はほとんど選定ゴミと枯れ葉が覆っていて土そのものは見えない。
 特に金木犀の下では枯れ葉は腐敗が遅くて土を見ることがない。

 ニュースで全国の松枯れが話題になっていた時は、松の剪定ゴミを松周辺に敷き詰めた。松のある面はホースで水を撒きにいけない場所なので、水撒きをしない代わりに剪定ゴミを敷き詰めて土壌乾燥対策にしようと思ったから。
 それ以降は松ぼっくりも増えた気がする。気の所為かもしれないが・・・

 体の疲れとモデルナアームでまだ動きの鈍い今はブルシートの片付けだけで精一杯。
 とりあえず、ブルーシートにぶちまけた土は肥料などを足して鉢やプランターに戻すことができた。でもそれで作業の半分。
 今年休眠させたプランター、休眠させたつもりはなかったけど育たなかったので事実上の休眠状態になったプランターもある。それらをどうするかはまだ決めてない。
 どちらにしろ、ホトトギスが咲いているうちは道が自由に通れないので剪定も進まない。
 金木犀は切りたいけど、先に切ったモッコクのゴミがいっぱいなので、これもホトトギスの花が終わってからしようかと悩んでいる。

 あ、モッコクの切断面が赤くて綺麗。これがいつの間にか樹皮と同じグレーになるのだから不思議だね。

 さて、日韓がハロンウィンに怯えている頃、ウクライナはモンスター・プーチンの悪魔の爪にかき回されていた。
 スロベニアが105mmライフル砲を主砲とする戦車をウクライナに供与し始めた。
 105mmライフル砲の砲弾は日本の74式戦車と共通。
 日本が支援できることが増えた。105mm砲弾をたくさん持っているわけではないが、すでに90式や10式の主砲は120mm滑空砲になっており、105mm砲の需要は相対的に減っている。
 「93式装弾筒付翼安定徹甲弾」が対ロシア戦車に活躍する日を見たい。

 戦争だから何をしてもしなくても多くの人が死ぬだろう。
 その全てを土が次の命に変えてくれるだろう。

すずめ鉢土の飾り蛤となる
野紺菊粛々とウクライナ粛々と

庭始め

 寒さで何となく下痢っぽい感じがするんだけど、出るは空砲、実もそぞろ・・・
 というわけで食っちゃ寝してた正月気分を入れ替えるべく、庭仕事始め。山茶花の剪定と旧年中に間に合わなかったクロガネモチとモミジを今更に剪定してやりました。

 花が少なくなってきた山茶花。まだ少し蕾が残ってるけど、八割方終わったと思うので、早々に剪定。
 庭の山茶花は二本あり、並んでいるので大きな一つの塊に見える。家人の老化に伴い、全ての庭木を小さくしようとしているのだけど、どれも茂るだけ茂っているのでなかなか小さくならない。山茶花も小枝がもこもこしてなかなか手を付けられなかった。もこもことした段作りっていうのかな、大きな三段の塊にチャドクガの痕跡が無数にある。
① 裏側から切り開いて枝を透かして、主幹を見えるようにする。
 樹冠の中っていうのかな、木の内側から枝を間引いていく。積年の重なった枝を一つ一つ解くように鋸で落とし、表に回って鋏で整える。花きり鋏なども使って細かく小枝を間引いていく。
② 絡み枝や交差枝も全てを切り落とさず、アクセントとして面白さや遊びを残す。癖の強い枝は後回しにする。
 段作りから玉散らしに近い樹形に変えて、チャドクガの痕跡も切り落とした。すっきりしたが寂しささえ感じる山茶花。これでもかというぐらいに枝を払ってやったぜ。さらに脚立なしで木の内側を登れる選定路とでも言うべき導線も作った。
③ 山茶花やツバキは萌芽力が強く、「胴吹枝」「ふところ枝」と呼ぶ太い主幹や主枝から生える小枝が多い。金木犀なんかも萌芽力旺盛な木だが、山茶花やツバキの比ではない。柿も萌芽力が強いが、根に近い低い位置には生えてこない。椿や山茶花は「ひこばえ」ではなく低い位置の「胴吹枝」もよく生える。
 とにかく切り払ったら、メジロが隠れる茂みがなくなり、ヒヨドリばかりが来るようになったぜ。
 クロガネモチとモミジはすでに小型化が進んでいるのちゃちゃっと終わっちゃった。

 これで椿・モッコクの季節まで剪定なし。気が向いたら後片付け。山茶花だけでも剪定ゴミは相当な量になるけど、肩の調子を見ながら少しづつ小さく刻んで、腐葉土にしてこう。
 同じ段作りのモッコクも小さくしたいのだけど、丈も高いし、脚立が立てにくい場所なのが最大の問題。
 モッコクも蛾が多い木で、温暖化で被害が目立つようになっている。これまで以上に枝を間引かないと、密すぎて蟲にとっての好条件が重なってしまう。少し残虐性を発揮して滅多切りにしてやるぐらいじゃないと、積年の密な小枝を整理できない。
 古い木だし、切れば切るほどゴミも嵩む。この晩春から初夏が勝負だろうな。今年を逃すと自分の健康にも自信が無い。

 社会変動も気にかかる。訪問営業を模したグレーゾーンの業者が増えているからね。調布市でも犯罪が増えていきそうな気配がある。地方からの移住者で人口が増えたということは、社会が変化する時に多くの人が道を見失う可能性が高いということだ。真の地元ではなく、俄かな出先だからね。
 うちには金がない。死にたさはあるが、殺されたいわけではない。集団自殺に無力な弱者を巻き込むのは物足りない。巻き込むなら原爆級の大量虐殺兵器ぐらいでないと満足できない。
 でも剪定で忙しくて、そんな暇はない。せめてモッコクの体裁を整えて、改造中の金木犀の樹形を完成させないと落ち着かない。
 金木犀の樹形は見えてきた。一本の木を三本に見立てる方向性が見えてきた。
 ああ、これが可能性という奴なのか・・・

肩の痛みもヒヨドリと春を待つ