老人の買い物2

 新しく花を買ってきた。自分流にいえば木ではなく草を買ってきた。

 ってわけで、菊を買いに行くのがメインだったのだけど、ついでにどうしてもついでに買ってしまうってあるじゃない。ついについでにアネモネを買ってしまった。
 昔に読んだ小説にアネモネが出てきて名前だけで興味を持ったのだけど、いざ実物を店頭で見ると何か仄暗いで色合いに嫌悪感を持ってしまった。特に花の中心が黒いのが好きになれない。標準的な品種の赤白黒の配色、その並びがどうも好きになれなかった。青や紫のアネモネは中心の黒とのバランスもよくて嫌いではないが、単純に暗い。
 以前にも色々とネットで調べて八重咲きなんかはわりと好きな感じのものあって店頭で実物を探したが、いざ見てみるとこういう花形ならバラや椿でいい気がしてくる。芍薬や牡丹でいい気がしてしまう。それこそ菊の八重やポンポンでいい気がする。アネモネでなくてもいい気がしてきて、「花の中心が黒いし・・・」と敬遠してきた。
 日本で「キンポウゲ科イチリンソウ属」をアネモネと呼んでいることを知ると、イチリンソウやシュウメイギクといった明るい花と比べた時の暗い感じがやっぱり好きになれず、アネモネは写真だけで愛でるのが一番良いと思うようになった。
 そんな自分がアネモネを買ったのだから、これは老化以外のなにものでもない。アネモネを不用意に買ってしまう老境に入ったということか。
 紫のアネモネは前述したように一度は良いと思ったもの。ラナンキュラスのクレオパトラパープルの色に近いかもしれない。おそらく、以前ならラナンキュラスやバラで良いじゃんとスルーしたはずだ。老化だ。

 さて、買ったものを植える鉢を空けなくていけない。枯れたり、もう何が植わっているのかわからない鉢が増えたので、改めて整理するとわりと空けられる鉢が多くて、悩む必要がないとわかった。
 というわけで、草に構うのをやめて本来の庭仕事を優先しようを考えを改めました。「いざ柿へ」を実行すべきなのでしょう。
 で、柿の下まで来ると昨年切った松の残骸がまだ大量に残っていることに気付かされる。枝ぐらいならその年の内に処理するが、幹は基本的に一年後以降に腐敗して軽くなってから小さく鋸ることにしている。昨年末にクロマツを寝かしていたのをもう忘れていた。老化だ。
 このままでは脚立を入れられないし、腐葉土生産鉢も空けないと柿の剪定ゴミを処理できない。
 そのついでに長く懸案だった「老母が勝手に植えつけた椿」の植え替え・移動も思い出してしまい、柿下土木のついでに椿土木もやることにした。この辺りでもうアネモネに飽き始めている。老化だ。

 で、柿下土木がおよそ終わったところで、ふと昨年のアカマツ剪定が甘くて家に被りだしていたことを思い出し、急遽アカマツの剪定を優先。アカマツはちょっと切り戻せばいいだけなのですぐに終わり、返す刀で椿を掘り起こした。
 人の背丈ほどのまだ小さい椿なので、今の内に抜きたかった。この椿は挿木で、元々は小さい鉢植えだったらしい。だから老母でも植えられたのだ。それから何年経っているのかは知らない。植えたことも大きくなってから気付いたぐらいだから。少なくとも父の生前なのは間違いない。
 椿の移動先は枯れた美容柳跡。美容柳は根が枯れていたので簡単に引っこ抜けた。抜けたついで美容柳の幼苗を発見してポットに分けた。
 今春までは美容柳に脇芽が生えていると思っていたので「根が生きている」かもしれないと抜くことをしなかった。で、脇芽が自然に育つのを待っていたが、夏には雑草に埋もれて消えてしまった。
 今回掘り返して解ったのは、脇芽ではなく実生の子苗だったらしいこと。引っこ抜いた幹や根から分岐した芽ではなかった。つまり、まだ弱い若草だったんだね。だから雑草に負けて消えたんだろう。で、最後の生き残りかもしれない幼苗を見つけて保護することにした。

 椿を抜いた時に根をかなり刈り込んだので、丸坊主に近いぐらいに枝も刈り込み、チャドクガの名残を徹底的に切り捨てた。
 何かもう疲れた・・・
 なんてことをしてたので、結局柿にたどり着けなかった。老化だ。

 アネモネ・・・ なんで買ったんだろう。コロナ自粛の反動かな。
 地元のプレミアム商品券も手元に来たし、いい加減髪を切りたいけど、年内は様子見を続けるべきかな・・・。

目白鳴き鵯睨む 冬剪定

いざ柿へ

 放射冷却でぐんと冷えた朝、ああ冬だなと思った。
 その放射冷却を切っ掛けにしたのか、ついに庭の女郎様、女郎蜘蛛がいなくなった。これで紅葉やクロガネモチ、柿への道が開けた。
 庭には金木犀の剪定ゴミがそのままになっていて、その上に木蓮の枯葉が次々と降っていた。
 不恰好で歪な仕上がりの金木犀。見栄えは悪いが今年はこれで終わりにしよう。
 木蓮は剪定というより、下から生えてくる新枝だけ根こそぎにすればいい。根こそぎにするからうちの姫木蓮はまったく姫の雰囲気のないただの木蓮になっている。私の生まれる前からいる庭で一番の古株である。
 梅も大きく切り戻して、夏に茂りそうな部分をこれも根こそぎにして枝数をとにかく減らす。枝数を減らしてかつ短くすれば花の絶対数は減るが、実はよく生って歩留まりは良くなる。さらにアブラムシなどの害虫も減る。

 残りの剪定は柿周辺。これは毎年良く新枝が生えるので切り戻すのが大変だ。柿は毎年切らないと収拾がつかなくなる。面倒でも毎年切り戻すしかない。
 今年、柿の実は一つも残らなかった。天候不順といえばそれまでだが、害虫ばかりが多くて、落ちるのも早かった。相対的に春に結実する梅の方が天候不順に影響されにくいのかもしれないと思った。
 梅は盆栽の手法を応用した剪定をしていて、それがいいらしい。それに対して柿は難しいね。農薬なしでは害虫に対抗できない。スミチオンを一度でも散布すればそれなりに実が残ったと思うけど、今年はそもそもの実の数も少なくて農薬の撒き甲斐もなかったよ。

 放射冷却でぐんと冷えて以降、雑草に埋もれていた菊が一斉に咲き始めた。スプレー菊が花を増やし始めた。先んじて清澄白山菊(コンギク)やノコンギクが咲いていたが、女郎様の移動で雑草処理が進み菊だけが残された結果なのか、開花が一気に加速した。
 清澄白菊は特に昨年に数を減らして全滅寸前で二株だけ生き残ったもので、それが一度咲き出したら次々と蕾を膨らませてくれるのでなんだか嬉しい。たった二株、しかもかなり萎えた矮小株だけどね。

 ヤツデは花が散るとゴミが多くて掃くのが面倒なので蕾のうちにもいでしまう。最近はひとつぐらいを残して咲く姿に季節を見る。
 残した花が咲き始めて、ハナアブや蝿、甲虫などが集っている。家の中からは見えない場所なので普段は見られないが、植物園のSNSなどの情報ではメジロが蜜を突きに来るらしい。
 山茶花が本格的に咲き出したら、ヒヨドリ、メジロが挙ってやって来た。山茶花の蜜より、今はミカンを突いている。今年は早めにミカンを収穫したので、残りは鳥の取り分になるんだろうな。

 鳥が来る季節になったので、リンゴの皮の刻みを設置するようにした。今年も新しい餌台を自作。ステンレス針金だけで作った餌台。メジロは小さく軽いので針金に直接掴まることができるし、どんな餌台でも食べられる。ヒヨドリは大きく少し重いので、餌台がしっかりしたものでないと餌に取り付くこともできないのは昨年の試作品で確認できた。
 新しい餌台は針金作りでメジロしかとまれないが、この簡易な餌台は梅の幹に寄り添えるように作ってある。メジロは針金に直接とまり、ヒヨドリは梅の木から突くことができるように設置した。冬の小鳥ホイホイ2021と名付けよう。捕まえるわけではないけど。
 メジロとヒヨドリが交互にやってきて糞をしてくれるよ。この糞から何かが生えてくるのかもしれない。少なくとも梅の良質な肥やしになってくれるだろう。

 釈然としない社会だけど今年も暮れていくのだな。結局2022年まで自粛するという自論通りになってしまった。老いが加速しているのを感じる。死にたいと思うようになって久しいが、撒き添い不足で死ねないまま今年も終えるのだな。
 二人殺せば死刑になるという犯罪者にはこのブログの脇にある言葉をやりたいね。「一丈の堀を越えんと欲するものは一丈五尺を超えんと励むべきなり」ってやつだ。あるいは毛利元就の「天下取りを志して、やっと一国の主に届くだろう。一国を主を望む程度ではそれは叶わない」というような逸話を教えてやりたいね。地球人皆殺しぐらいでやっと一人を殺せるかどうかかもね。自分は地球の適正人口30億人論者なので、約70億人を半分以下に減らしたい。それでも一人も殺してないよ。傷付けた人はいるんだろうけどさ。
 結局馬鹿は二人を殺そうとして一人をも殺せずというわけか。やっと福島辺りで正義が悪意に逆転して、犯人は取り押さえられた。見捨てたものではないね。
 これからも鬼は出るさ。世が世だから仕方がない。
「君子は必ずその独りを慎むなり 小人閑居して不善を為す」
 日本人に君子といえる柄はそういないから、不善を為す者の方が多いだろう。自分だって君子には遠い。だからこそ、この言葉をブログの脇に掲げているんだ。座右の銘っていうから右側に配置してるんだよ。
 全てを望むから少しぐらいは叶うと感じる。少ししか叶わないと思っている人は全く叶うことはない。
 地球を支配するぐらいの妄想をして、やっとメジロとヒヨドリが来て、冬のうちに一度ぐらいはジョウビタキの雌が来てくれるだろう。なぜかジョウビタキは雌しか来たことがない。それも1シーズンに二日も来ればいい方で、滅多に来るものではない。さらに運が良ければコゲラが来たりする。住宅地の狭い敷地に稀にやってくる。
 叶うことなんてその程度だが、想像の中ではとっくに全人類を数百回滅ぼして、ナウシカが目指した清浄な大地を数百回達成している。
 それでやってくる鳥がメジロ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、コゲラ、カラス、ハト、ムクドリ、ハシブトカラス、シジュウカラ、オナガといったところだ。スズメは見なくなったね。当たり前に年中見る鳥だったのに、うちには来なくなったな。
 人を殺そうが、鳥を愛でようが、人が為すことに大差はない。人は善悪をさも大層に語るけど、所詮大宇宙の中では瑣末な、実に瑣末な問題だ。
 命には必ず死が待っている。星にも終わりがやってくる。根拠もなく永遠を信じるのは信者だけだ。
 暴れて生きるのも静かに逼塞するのも大した差はない。

落葉掃く 鳥に菊に気遣いつつ