旧ソ連という前に・・・

 大手メディアに限らず Twitterでも「旧ソ連」という表現は今も散見される。実際に日本人にとってアジア圏以外の国々は遠く、学生期間が終われば何も覚えていないという人は多い。
 自分の興味にしか関心を示さない今風なメディアとの付き合い方においては、知らないことを知らないままに過ごす方が楽だし、チルとかストレスフリーという今風の概念にも適っているようにも思える。後で困るとしても・・・

 1991年(平成3年)に解体宣言されたソビエト連邦だが、2014年(平成26年)以降にプーチンの妄想を紐解こうとする過程で旧ソ連(後のCIS:独立国家共同体なども同様に)圏を再確認する必要から、頻繁に記述されるようなった。
 しかし、「旧ソ連の」という記述を形容詞にされてしまうジョージアなどが強く反発している。日本語メディアの曖昧さを残す感覚的表現と、曖昧さを廃した明確・明示された表現が国家・民族アイデンティティーを守ってきたと自負するジョージアなどとの齟齬が Twitterなどでも見られる。
 また、日本人独特の表現を承知した上でやんわりと指摘する詩的外交官レジャバ大使の「誘惑」が、見ていて楽しいのだ。

 何かを説明する時にはどうしても形容詞・修飾語が必要になるのだが、独立国を表現するのにどのような修飾を付けるか、そもそも修飾が本当に必要なのかは、特に大手メディアは真摯に向き合う必要がある。
 ジョージアが特に嫌う表現が「旧ソ連のジョージア」という表現だが、何のために「旧ソ連の」が必要なのだろうか?
 例えば、日本に対して、「敗戦国の日本」とか「旧大日本帝国の日本」とか「旧日独伊三国同盟の日本」ということをいちいち書くだろうか?
 書く場合は意図的な主張が隠されているのだろうが、日本メディアにそこまでの政治主張があるとも思えない。
 しかし、「ジョージアは旧ソ連だからロシアが干渉するのは当然だ」と誤解されても仕方がない内容も多い。というか、そういう恣意が本当にあるのかもしれないメディアも散見される。
 「日本」に地理的な修飾が必要なら「東アジアの日本」「環太平洋の日本」などだろう。政治経済の表現なら少し前なら「経済大国の日本」だろう。今なら「アニメ大国の日本」か「地震大国の日本」か「沈没前の・・・
 ジョージアに形容詞が必要なのかどうかも不明だが、地理的には「南コーカサスのジョージア」というのが無難だろう。
 コーカサスが分からない無知な日本人に「旧ソ連の南部」という馬鹿馬鹿しい表現しか出てこない記者・メディアがあるのが現実だ。恐らくジョージアを地図で見直すこともなく書いているか、未だに地図にソ連が記載されている1980年代以前の地図を用いているのだろう。
 いまならウクライナ問題に関連してジョージアにも関心が持たれているので、「黒海西岸東岸のジョージア」というのが現実的だろうか?(東西も分からないダメな私・・・)

 1990年代からロシアが干渉してきた「アブハジア自治共和国・南オセチア共和国」というロシアの占領地は、国際的に認められてはいない。
 ウクライナとモルドバにまたがり、プーチンがノボロシアと言い始めた「クリミア・ドンバス地方~沿ドニエストル」と同じである。
 それを何かと比較して別の形容詞・修飾語を無理に探すのは文屋のさもしい根性としか言いようがない。単に「プーチン・統一ロシアの妄想による侵略地」という以外にはない。
 ロシア(親ロシア勢力?)の主張の根拠となる概念そのものが妄想に起因していて、現実に存在しないからだ。

 アジアやアフリカにも様々な火種があるが、現時点で基本的には国内問題であり、憲法九条による平和主義で曖昧にしたい日本政府は干渉できない。
 しかし、1990年のイラクのクウェート侵攻と同じで、プーチン=メドベージェフが国境外へ侵攻した中でも、特にウクライナ侵攻は度肝を抜くものだった。
 ジョージアは、カルトヴェリ人・オセット人・アブハズ人の対立を煽るロシア側の策動に対して、国内で軍を動かした。ロシアはそこに付け込んだわけだが、ジョージアが国内で軍を動かしたのが短慮だとしても、ロシアが国外に派兵する理由にはならない。
 ウクライナも一部の極右が親ロシア派を刺激した事実はあるかもしれない。しかし、全てウクライナの国内問題であり、ロシアが国境を越える理由にはならない。
 結果的に国境を越えた事自体が問題であり、その経緯はあまり重要ではない。その経緯を取り上げ始めたら、世界の国々のほぼ全てが消滅し、都市国家だけが辛うじて残るだけになるだろう。

アメリカの全ての白人は欧州に戻るべきだし、黒人はアフリカに返すべき
日本は琉球やアイヌの自治独立を認めるべき
民族ロシア人はモスクワ周辺に戻るべき


 なんてことをしていたら世界は異常な状態になるだろう。現状にどこまでの過去を反映させるかについては議論の余地があるかもしれないが、イスラエルのように「紀元前」の話を持ち出す集団を許すべきではないと思っている。
 どんなに遺恨があっても百年程度の歴史で妥協すべきだろう。仮に文化史などで数百年、数千年単位の話になったとしてもだ・・・

 そういった意味でソ連崩壊から30年、「旧ソ連の」という修飾語から脱せない頑迷な自称識者も多いことだろうが、大手メディアはそこで取捨選択をするべきだと思う。
 そろそろ東欧の東端、メソポタミアの北隣、コーカサス地方の認識を「旧ソ連の」から変えるべきだろう。
 ロシアは遠からず崩壊するので、「旧ソ連の」を持ち出す意味もない。
 大軍ゆえにプーチンの思考に翻弄されるのは仕方がないが、小国ジョージアの意志を無視するのは、決して大国と呼べない日本にとっても得ではない。

 風に翻弄されて枝葉を揺らすのは世の常だ。ジョージアが折れずに今日にあるのも、枝葉が翻弄されても幹や根を失わなかったからだ。それは日本も同じであり、現存する多くの独立国に同じことが言える。
 だから、プーチンと統一ロシアを許してはならない。核保有国で難しい相手だが、許すこと、認めることはあってはならない。

8月を前に

広めようコロナを!
 さぁ、五輪バブルの外へ、みんなの中へ!

 8月に向けた煽り文句(Tweet済み)です。この言葉に不安感や恐怖心、怒りを抱けない人は感染して苦しめばいい。私は優生思想の持ち主なので、行動する馬鹿に対してひどく差別的です。
 私自身は8月にワクチン接種一回目の予定です。予約でいっぱいで7月中の接種はできませんでした。接種できるのが年末や来年だと思っていたので、思いの外早くできたことは驚きです。河野大臣をなめすぎていた。所詮、二世議員とかなりなめていたけど、五輪開催国であるということで厚遇されているのかもしれない。その意味では自国製ワクチンがないわりに、ワクチン外交上は五輪が有用だったのかもしれない。
 8月を前にして、日本で見ない数字になっているが、それだけでなく社会帰属意識がかなり主観的・恣意的になり、分断が進んでいるのも見える。
 それは個人的には望むところというか、想定内というか、現代の風潮として当然だろうと思うし、だからこそ反対される五輪強行という結果になっているのだろう。事態の整合性がとれている。
 私自身はスポーツが好きだし、オリンピックやワールドカップは仕事を休んでも見るような人間だったけど、この五輪は誘致段階から反対している。社会情勢、特に収入格差拡大を助長することになるだろうと考える。気候変動に加えて、感染症禍も重なり、目立って中抜き貴族や五輪貴族が闊歩するようになった。思った通りに転げ落ちていく日本社会は、それでも経済状態が良いなどという。トヨタやパナソニックといったワールドパートナー企業は黒字で増収増益だという。
 これを格差と言わずして、何を格差と言えばいいのかわからなくなる。その格差を喜ぶのが政治であり財界だというなら、貧民の敵として戦うしかないだろう。
 戦わずに従えと中抜き会長が声高に叫ぶが、誰にその声が届くのだろうか?
 声が届くことなく、虚しくこだましている。いや、こだまさえ返ってこなくなっている。それが今の菅政権ではないか?

 さて、不謹慎狩りの辞任劇から時間が経って、20年前のホロコーストネタで小林氏が解任された件について、アメリカやイスラエル本国でも批評が出揃ったようだ。
 最新の論評では「小林氏解任はやりすぎ」という小林氏擁護、五輪組織委への批判らしい。特にイスラエル紙からはホロコーストをネタに笑うことはイスラエルでもあるという清々しい発表だ。文字も言葉も違うイスラエルの情報は先ず日本国内に入ってこない。私でも知っているような有名なメディアはカタールのアルジャジーラなどで、イスラエルのメディアなど何一つ知らない。今回の件で知った Haaretz(ハアレツ)というのはイスラエルの左派紙らしい。
 先に小林氏を批判したアメリカのユダヤ人人権団体は保守右派らしい。右派団体とパソナ自民党 中山泰秀の排他性にはシナジーがあるのもよくわかる。
 そこに左派が釘を刺してきた。イスラエルの文化水準の高さ、奥深さが垣間見れる。右派と左派の対立が存在しない社会とは、つまり独裁主義国家のみである。
 健全な対立があってこそ社会は成長する。今の自民党は排他性が強く、健全な対立・競争は存在しない。メディアを批判し、会見でも予定調和で終わろうとする菅政権や五輪組織委に文化と呼ぶべき知性は見られない。差別する者が辞職を許されて黒幕のように付きまとい、自由な表現を目指した差別していない者が断罪されて解任される。dystopia の悪夢でも見ているようだ。
 ある意味、日本の指導者層の低い知性を晒すことに成功したラーメンズ事件は、アメリカWP紙などでも組織委の対応批判となり、当初の小林氏批判から転じて表現の自由を奪う非道として落ち着きそうである。
 この先も様々な意見が出てくるだろうが、それこそが自由。失ってはならず、まして他人に売り払っていいものでもない。しかし、それをした者がいた。中山泰秀という大阪人を忘れてはならない。民主主義にあってはならない、自由を他国に売った者だ。
 どの世界にも裏切り者はいるのだが、主義主張も無く、ただの差別感情から行動する軽輩を政界に送り込んだ大阪という土地を、私は憎むよ。非道が過ぎる。兵庫や大阪人の非道は近年目に余る。地域性というべきか、格差社会の行き着く末路の一端なのか、あまりに酷い。人類の正義というものがあまりに無さ過ぎる。
 自由に勝る正義はない。自由は自分勝手という意味でも、独善という意味でも無い。全人類一人一人が等間隔に持つ自由というテリトリー。それを大きく侵害した裏切り者がいたことを忘れてはならない。

 東京五輪は裏切りの祭り。社会を裏切り、コロナ禍で真摯に自粛してきた国民を裏切った。
 8月は裏切り者を断罪する月にしよう。そんな8月の標語。

広めようコロナを!
 さぁ、五輪バブルの外へ、みんなの中へ!

 裏切り者を誘い出すにはちょうどいい。天皇さんも祝わなかった五輪を楽しもうではないか。裏切り者達は感染し、苦しみを知る。
 私はワクチンを打ち、断固として2022年末まで自粛する。しかし、皆は広めてくれてかまわない。経済を振り回してくれたまえ。飲食、飲酒、好きにすればいい。