ハロウィンはケルトの祭り

 某御城のゲームの話。
 ゲームでは「海外」とざっくりとした区分けで計画性のない行き詰まりだったのではないかと思われる雑な扱い。せめてアジア州、ヨーロッパ州といった具合に世界を大雑把に区分けするだけでも、イベントに方向性や機能拡張に可能性を感じたかもしれないのに。
 そんなことは個人でこそこそ妄想するのが一番楽しいってことか・・・
 実際に海外の城とはいってもその多くがヨーロッパにあって、それ以外は侵略した白人やイスラム教徒が破壊してしまったのだから、なかなか城の遺構を見つけるのも難しいだろうよ。
 ガンダーラの城砦とかが残っていたら、それだけで欲しいけど、ガンダーラ仏の破片さえも、タリバンが破壊するのがオチだろうな。
 さて、今回はEU圏というか欧州だけの地図にしてみたけど、持ってる城というか育てた城を入れようとしたけど、かなり多くを省略することになった。
 ゲームでは人気のダノダー城とかノイシュヴァンシュタイン城(入力はコピペ)とかプラハ城やモン・サン=ミシェルなど、持ってない御城はことごとく省略しました。

 季節柄ハロウィンと言えばケルト人。アイルランドやイギリス・ウェールズ地方、古くはヨーロッパ全域に広く在住したらしい。古代ギリシャやローマと交易して、時に傭兵にもなり、後にゲルマン人に圧迫されてフランス・スペインやブリテン・アイルランドへ追いやられたという。
 そのブリテン島にアングロ・サクソン人、ノルマン人といったゲルマン系諸族が侵入し、今日に続いている。イギリス王室がドイツ貴族の系統なのはそういった意味で古代史を踏襲しているのかもね。
 この歴史は日本でいう先住縄文人、後発弥生人、さらに後発の大和王権、渡来人といった歴史にも似ている。
 先住ヨーロッパ人が今のスコットランド地方のピクト人など、後発でケルト人やローマ人、その後にゲルマン人といった風に・・・
 というわけで先ずはケルト文化圏から始めよう。

リープ城

◆アイルランド・☆5リープ城(鞭) Leap (Léim Uí Bhánáin)
 Leapはレップと発音するらしい。
 石器時代から領有された土地で、地名は「バノン一族の肥沃な土地」に由来し、城としては13世紀から15世紀の内に築城されたらしい。
 領主一族の内紛が続き、Bloody Chapel と呼ばれる礼拝堂が残っている。
 ゲームでは鞭の遠近両用、中距離攻撃が敵の集中点掃討に便利。

コンウィ城

◆ウェールズ・☆2コンウィ城(盾) Conwy
 13世紀末エドワード一世のウェールズ征服の中心拠点として築かれた。同様の歴史を持つカーナーヴォン城は今回省略。
 エドワード1世によるウェールズ征服後の1301年以降、イングランド王太子はウェールズ大公の称号を持つ。
 ゲームでは☆2で育てやすい蔵防衛特化の盾。

ケルフィリー城

◆ウェールズ・☆6ケルフィリー城(盾) Caerffili
 11世紀後半から続いたノルマン人によるウェールズ侵略の拠点として13世紀に築かれたウェールズ最大の城郭。
 エドワード1世のウェールズ侵攻の際に接収され、ウェールズ反乱軍に幾度も攻められたが陥落することなかった。
 15世紀以降は牢獄として使われた時期もあったが、維持費の問題で次第に廃れていった。
 ゲームでは平/水の2属性、高レアでブロック数増加計略を持つ頼れる水城である。

リンディスファーン城

◆イングランド・☆5リンディスファーン城(鈴)Lindisfarne
 アングロサクソン人の侵入でローマ時代からのキリスト教文化は荒廃したが、アイルランド人が修道院を建てて復興した。
 その後も荒廃と復興を繰り返す。15世紀頃は対スコットランドの城砦とされたが、後にイギリス国教会の弾圧で廃墟となり、今日に至る。
 ゲームでは、敵のダメージコントロール特技と気獲得の計略を持つ。気に作用するトークン計略とは違い、配置マスを使用せず、トークン破壊による無駄がない。

アイリーン・ドナン城

◆スコットランド・☆4アイリーン・ドナン城(杖) Eilean Donnain
 アイリアン・ドナン。ゲール語で「ドナンの島」の意味で、ケルト人の初期キリスト教殉教者ドナンに因んでいる。修道院と古代城郭が原形。
 ゲームでは低レア無計略の魔法使いで火力支援向き。
 バグパイプでScotland the Braveを吹いてくれるんだ!(妄想中)

ラムリー城

◆イングランド・☆5ラムリー城(鎌) Lumley
 リチャード2世に従ってスコットランド戦争で活躍したラムリー男爵の城。失脚したリチャード2世共々、ヘンリー4世によって粛清された。それが幽霊伝説の元になっている。
 ゲームでは防御無視、大破無効魔神・アベンジャー。自爆特技で序盤は地雷として、終盤は強大化させて魔法系ダメージで削りきりたい。

ドーヴァー城

◆イングランド・☆5ドーヴァー城(大砲) Dover
 歴史は古く確かなのはローマ帝国時代の灯台が残っていること。ローマ帝国時代の灯台は 世界に3台 しか残っていないらしい。この頃から第二次世界大戦、そして今でもブリテン島の門番・鍵であり続けている。
 ゲームでは計略「イングランドの鍵」で近接のブロック数と防御を上げて、大砲で一掃するのが基本戦術だろう。ダンケルクの二の舞は避けないと!(妄想中)

◆ノルマンディー・☆5ガイヤール城(盾) Gaillard
 1154年、アンジュー伯・ノルマンディー公・アキテーヌ公であるフランス貴族アンリが、イングランド王ヘンリー2世(プランタジネット朝)となったことで一時期フランス過半がイングランド王に属した。

ガイヤール城

 ヘンリー2世の子 リチャード獅子心王(ノルマンディー公リシャール4世)はイングランドよりフランスに執着したが、十字軍遠征中に弟ジョンとフランス王フィリップ2世の策略でノルマンディーを侵略された。
 帰国後にノルマンディー防衛のために、中東の最新技術を導入したガイヤール城を1198年に完成させたが、1199年にリチャードは戦死した。
 王位継承問題を切っ掛けにフィリップ2世はジョンと戦争を開始した。ガイヤール城などは堅固で、ジョンは緒戦には勝ったが圧政や捕虜の扱いなどの非道でフランス貴族の支持を失っていった。1204年にガイヤール城は落城し、ジョンはフランス領土の多くを失った。
 その後もジョン王の敗戦が続き、1215年マグナ・カルタが制定された。ジョン王の抵抗から内乱に発展し、1216年ジョンも赤痢で病没した。
 マグナ・カルタは憲法原理として今も有効な憲章である。

 ゲームでは攻撃型の盾で、計略は敵デバフでの防御型という単体でのバランスは微妙な御城。支援や装備次第で敵を速めに倒せる盾ではある。

 なんだ。中学時代の歴史の授業みたいだ。ヨーロッパ地図を作ったけど、もうこの辺でいい気がしてきた。続きは別の記事にしよう。

久しぶりの激戦の奥

 久しぶりに某御城のゲームの話。
 久しぶりに北海道・東北セットを使う機会があったので、テーマはあんまり前回と変わってないけど、地図を作り直した。
 前回は北海道・東北という括りがあまりに広ので、東北だけを切り取ったが、城をごちゃごちゃと載せすぎたので整理して、改めて列藩同盟側に贔屓した地図です。

 今回掲載の御城は、
右太平洋側上から8城 四稜郭(クリスマス) 五稜郭(正月) 盛岡城 仙台城 白石城 相馬中村城 二本松城 白河小峰城
中央上から2城 天童城 山形城(花嫁)
左日本海側上から4城 七飯台場 鶴ヶ岡城 米沢城 会津若松城

 かなりシンプルになった。前回地図に入れた越後勢力や新政府側を省いたらすっきりした。
 で、当時の八戸藩が島津家からの養子だったなどの情報を得て、戊辰戦争での主要な勢力と戦地となった城だけを残した。八戸城はゲームに実装されてないけどね。そのうちに八戸城も実装されるでしょう。ゲームに関係ない城も歴史の流れを見るのに大事だからね。
 色分けは黄色が列藩同盟の中心勢力、黄緑は苦悩する小藩、赤は政府側、ピンクの八戸藩は列藩同盟にいたが不戦姿勢だった。
 盛岡藩は当初消極的参加だったが、戦国時代からの因縁で秋田や弘前への派兵を積極的に行っているので中心勢力と言えるだろう。映画「壬生義士伝」が好きで贔屓目で見てはいるな。
 ●は旧来の城。■は城ではなく天童陣屋。◆は西洋技術による近世要塞の五稜郭など。
 で、最近手に入れた七飯台場というのがどこだかわからないし、名前も聞いたことが無くて、Googleマップにもないときた。困ってたんだけど、一応史跡として標は立っているらしく、その座標を記している方がいらしたので、それを元に地図に落とした。森しか写ってないし、道も見えないのでGoogleマップで痕跡や標は全く分からない。熊が出るらしいので史跡とはいっても、国有林という名の半ば自然・野生のテリトリーらしい。
 台場とは言うけども、突貫で造成された陣地で砲は置かれてなかったという。それでゲームでも「拳」の扱いなのだろう。でも計略は「砲拳」という射程長めの遠隔攻撃。
 五稜郭は「大砲」、四稜郭が「鉄砲」、七飯(峠下)台場は「(砲)拳」と、函館戦争を想起させる御城だ。
 前回は北海道を省いたんだけど、調べれば調べるほど、函館戦争を抜きに列藩同盟は語れないことが分かってきた。各藩が降伏した後も各藩の最新装備の部隊が函館へ転戦していることが分かったので、改めて最後の戦地 北海道を外さずに地図を作り直したのでした。

 しかし、結果負けなしの精強 庄内藩(☆3鶴ヶ岡城)がゲーム上で未だに☆3の「歌舞」なのは微妙な気もするんだけど、この☆3歌舞が同盟セットでは重要で☆4白石城(祓串)と合わせて回復が安定すると、☆不足の近接主力の☆4盛岡城(槌)を支えて、☆5仙台城(刀)、☆4会津若松城(銃)で支援するというゲームの基本形が完成する。
 脇道は☆4相馬中村城(刀)を転戦させつつ、☆6米沢城(弩)を付ける感じでいいかな。
 主力が☆4盛岡城なので支援のわんこそばもりもりで激戦地へ投下してくださいね!
 ☆5仙台城は「政宗の龍刀」装備でブロッカーにしたいので、盛岡城にがんばってもらわないと破綻します。☆5山形城(花嫁)がいるなら、ダブル刀で削り流すこともできるけど、標準の☆4山形城だと難易度次第でかなり厳しい戦いになるかもね。
 大砲は☆7五稜郭と☆6二本松城があるので、手に入れた方を育てる感じだろうね。鉄砲も☆4会津若松城、☆5四稜郭(クリスマス)、☆6青葉城(仙台城別名)、☆7霞城(山形城別名)がある。総じて同盟セットは遠隔武器には事欠かない。
 同盟セットの問題は近接武器に決定打がないこと。☆6以上のどれかはなんとか入手して育てないと☆不足による弱さを露呈すること請け合い。なんといっても主力の槌が☆4で、近接の☆不足感は否めない。
 ☆5仙台城、☆5山形城(花嫁)、☆4相馬中村城と「刀」は多いが、「槍」がないのも戦略の幅を狭めている。
 法術も☆4福島城、☆6鶴ヶ城(若松城別名)しかいない。持っていないなら、いっそ法術を諦めて☆4白石城と☆5天童城(鈴)で戦略を考え直した方がいい。
 ☆4と☆6以上という組み合わせばかりで、手頃な☆5が非常に少ない列藩同盟セットにも週末任務や月次任務での出番はあるので、育てておいて損はない。
 ☆5ユクエピラチャシ(槌)とかでガツンと雷を落としたいところだが、阿寒湖方面で関わりがなさすぎるからな・・・

 幕末に白河藩主の棚倉転封があり、白河小峰城は幕府領として二本松藩預かりとなっていた。そのまま大政奉還を迎え、江戸開城後は新政府領となったことで白河小峰城攻防戦が繰り広げられた。
 新政府軍の援軍が海路で平潟に到着すると白河派兵中の棚倉城が落城、磐城平城が激戦の末落城すると三春藩が新政府側となり、二本松城も白河派兵中で落城した。
 白河からの退路を断たれた同盟軍は白河城攻略を諦めて会津経由でそれぞれに撤退。白河攻防の趨勢が決まり、連敗続きだった仙台藩が撤兵すると、相馬中村藩も善戦むなしく降伏し中村藩は仙台攻めの先兵とされた。
 新政府軍は白河・二本松からの会津攻めか、中村城からの仙台攻めかで意見が分かれたのだった。

 新政府軍の平潟上陸作戦で最前線となり落城した磐城平城は実装されていない上にごちゃごちゃするので省略してしまいました。実装されたら刀かな。同盟セットのバランスを考えると☆4以上の槍がいいかな。気回復のトークン持ちだとベストだね。ちなみに戊辰戦争後の城跡には物見ヶ岡稲荷神社が建てられているらしい。

 やっぱり北海道・東北という括りは広いね。地図を作っていて楽しい。広いけど歴史を追うと道、航路でつながってることが改めてわかるね。
 列藩同盟の失敗は、大兵力を持つ仙台藩の武装・戦術・思想が旧式過ぎた事に尽きるだろう。そのために求心力に欠き、大藩であることの威勢で序盤は小藩を巻き込めたが、連敗が続いたことで同盟の継続が難しくなった。それでも地の利を生かして、旧式武器で各藩がそれぞれの意地を見せて各所で激戦となった。
 ちょうど現実でも旧式の政治で威勢を張る自民党か、それ以外かの選挙戦が始まっている2021年。自公同盟が勝つのか、野党新政府連合が勝つのか? 東北はどんな選択をするんだろうね?

志士の気炎 今は奥山の錦

追記
新政府軍の上陸拠点平潟、今の平潟港と磐城平城を載せた地図を作り直してみたけど、実装されている福島城も、未実装の棚倉城、磐城平城も画像を載せる隙間はないね。

追記
函館戦争マップを勢いで作ってみた。峠下台場=七飯台場は地形図の方がわかりやすいが、地図で痕跡が見えるわけではない。

追記
 折角作った函館戦争マップだったけど、この時代は「箱館」というのが正式な表記で、函館は新政府による明治2年以降の新表記だったらしい。
ちょっと峠下台場の場所が分かったことと江刺の砲台がテカエシ、キネツカと二つあったことなどを知って舞い上がってた。
 で、ちょっと反省して作り直すにあたり、弁天台場攻略のため新政府軍が上陸したとされる「寒川」探しを始めた。わりと歩いている人はいるみたいだけど地図に示してくれてないし、Googleマップにもないし、寒川という地名が現在存在せず、名称変更でもないらしいので、どこだかわからないままだった。
 一部に立待岬側を上陸地点と示したものがあった。おそらく文章で「箱館山の裏側の寒川に上陸」という表現が一般的に知られた箱館山の戦いのワンシーンで、箱館山の裏という解釈を立待岬側に求めたのだろう。それは「千畳敷の守備隊の死角」という表現に適っているようにも思えた。
 でもGoogleマップで立待岬付近には岩礁が多く見えるし、近い地名は住吉で、住吉漁港は岬の北。岬の近辺は、今の漁港付近まで船を着けられそうな場所がない。それで納得できずに上の地図に上陸地点を示さなかった。
 で、さらに調べていくと函館山の秘境とか、寒川海岸という表現が出てきて、岩礁続きの岬周辺ではないと見切りをつけて、様々な写真をもっと見ていくと海岸侵食でできた洞とか穴とかが目立つらしい。そして、それはGoogleマップでも確認できたよ!

 旧寒川集落へつながる橋の跡と海岸洞窟を発見!あとはこれを渡って海岸線を探すだけ。
 で、古い資料を載せてくれていたサイトの図と比較して、旧寒川集落のおよその場所は分かりました。上陸地点は「その近辺」という以上にはわかりませんが、昔は人が住んでいたんですね。

 七重浜まで進軍した新政府軍は、五稜郭攻略の為に四稜郭‐権現台場、千代ヶ岱(千代ヶ台)陣屋を落として、五稜郭を包囲したかったわけですが、弁天台場からの砲撃が優勢でなかなか包囲できず。
 そこで海路で箱館山の裏側「寒川」付近に強行上陸します。奇襲を受けた千畳敷の旧幕軍は寡兵で箱館山の陣地も新政府軍に攻略されてしまいました。
 土方歳三は孤立した弁天台場救援のために一本木関門まで進んだところで戦死しました。弁天台場の抵抗は激しかったそうですが海陸挟撃に抗しきれませんでした。後に「新選組最後の地」の碑が残っているそうです。
 今の市立函館病院の前身で、赤十字の精神で旧幕・新政府双方の負傷者を受け入れた当時の「箱館病院」は弁天台場の南にあったそうです。
 多分、追記完結!