暴風と花粉と寒さの襲撃に耐え切れない。ここを捨てて地中に撤退する!
暴風の中でも豊後梅は咲き、草木瓜も3月を待たずに咲き出しました。白木瓜は一輪咲いたのみで停滞。黄梅の開花は加速。
寒暖を繰り返す影響か、山茶花も終わりそうで終わらない。椿も紅白椿以外は咲くのを躊躇っているようで・・・
うちの庭には直植えの椿が三本あるが、一本はほとんど咲かない。何年前かに、美容柳の親株が枯れた跡地に咲かない椿を移植した。その椿が今年はたくさん蕾を持っている。たくさんと言っても木はまだ小さいので数えられる数だけど。自分より背が低い木で、剪定してサイズを維持したいと思っている。
もう 咲かない椿 とは呼べなくなるね。うちで 一番低い椿 と呼ぼうかな。他の椿も低くしようと剪定を進めているけど、なかなか思うようには進まない。切れば切っただけゴミも増えるからね。庭の中での腐葉処理が間に合わない。切る量を処理できそうな量に抑えないといけないが、温暖化で冬でもそこそこ腐敗が進むようになった。さすがに雪が降る寒さでは無理だけど。
もう庭仕事も花粉がひどくてマスク無しでは無理だろう。寒いのも無理だけど・・・
さて、
墨子 耕柱より / 為義非避毀就誉
例の如くWikipediaによれば、小泉元首相が在任中に引用したという 墨子 のごく一部。墨子は現代的な価値観の人物だったようで、孔子のような男尊女卑の権威主義者を真っ向批判していた人物だ。とはいえ、紀元前の人なので 上帝 (天・最高神) や 鬼神 の存在も説いている。
ここでの鬼神とは、現代の 悪鬼 としての鬼 (悪魔) とは異なる。つまり 「鬼滅の刃」 に出てくるような邪悪なものではない。人の善悪の応じて賞罰を与え、争いなどの人の悪行を抑制するものらしい。漫画 アニメで例えるなら、ニュアンスとして近いのは「鬼灯の冷徹」 の 鬼 かも。
つまり、性善説とか性悪説に傾倒していない。現代のニュアンスだと社会主義的側面も感じるが、持続可能性を求めているとも言える。倹約を求めるが技術発展を説き、儀礼葬祭こそ簡素にして浪費するな と説く。
墨子思想の最大の特徴は 兼愛 非攻。
家族愛 (特に父長への敬愛) を偏愛と批判し、万人に公平な いわゆる人間愛 (博愛主義) を説く。侵略戦争を非難し、防衛のための技術発展を求め、殺人は違法なのに戦争では勲章がもらえる矛盾を指摘する。
結果的に支配欲を持つ権力者には好かれず、男尊女卑の権威主義思想である孔子が評価されるようになった。中華皇帝による支配体制と孔子思想が合致したからだ。
で、為義非避毀就誉
・・・義を為すのは謗りを避けて誉に就くために非ず・・・
When doing justice, do not be afraid of criticism and do not expect praise.
もっと長い文中の一部分を抜き出したもの。鬱陶しいので読む気もしないけど、「正しいと思うことをするのは、人気取りのためではないでしょ」ってこと。
自民党の政治家に引用されるとちょっと首を傾げたくなるね。でも 変人小泉 の発言だと思うと妙にしっくりくるかも。
墨子の内容はうだうだと長いので全部を読みたいとは思えないが、比較的開明的で現代的側面もあるので さわりだけ ってなるとこういう部分引用になるのかもね。
ちなみに 見義不爲無勇也 「義を見て不為るは勇無き也」は、論語に出てくる孔子の言葉で、墨子と孔子の「義」の方向性は真っ向逆である。
孔子は年功序列・冠婚葬祭・男尊女卑の権威主義を重視していた。なので支配者、特に男性の権力者には都合がいい。
墨子は博愛主義で、指導者と民衆に同じ原則を求めた。今日の民主主義ほどではないが、その萌芽といえるものはあったかもしれない。なにより技術発展を重要項目に挙げている点は画期的だったと思う。だって、紀元前だよ!
さて、次に剪定するのは花が終わる山茶花だな。でも風が強すぎる。街燈や建築資材まで飛ぶのに剪定ゴミなんかどこまで飛ぶか分からない。
うちの庭にもよその枯れ葉が飛んでくることがある。それを観察するのが好き。どこの庭から来たのかは知らないが、明らかにうちにはない葉を見ること、その背景を想像することは楽しい。椰子の実 の歌のようにさ。
よく飛んでくるのは笹の葉だが、近所にわりと多い。この前は名称不明のわりと大きな葉が来ていたが、何の葉かわからないまま。
春一番の後には斑入りの蔦の葉が飛んできた。まだ緑の生きた葉に感動して、水につけておいた。蔦は水につけておくと根がつくことがあるから・・・
風散布で予期せず色んな草が来るのが楽しい。
でも、川原から連れてきたヒメオドリコソウは定着せずに消えちゃった。何度か空き地や川原から運んできたけど定着しない。シソ科ホトケノザは定着して増えているのに、ヒメオドリコソウは何度やってもダメだった。
近所の庭から溢れ出ていたヒメツルソバは、何年前になるのか、うちの外の縁石の隙間からも生えるようになった。庭の中に入ってくればいいのになかなか敷地の中に入ってこない。
中国~南アジア原産で金平糖のような薄紅色の花が可愛らしい。近所で見た時に ちょっといいなぁ と思っていた。でも、近所で見られるならば と買わなかった。
で、何年前だったか 縁石のコンクリの隙間から生えてきた。カタバミやスミレが生えていたこともあった場所に、今はヒメツルソバが生えている。
自然と庭に入ってくるのを待っている。無理に入れてもヒメオドリコソウのように消えるものは消えてしまうから。セイタカアワダチソウのように再び戻ってくるものは戻ってくるけど。
ヒメオドリコソウは何度もチャレンジしているけど、消えちゃうんだよね。日照が足りないとはわかっているんだけど、しばらく庭の端っこにいたのにね。
子供の頃からヒメオドリコソウ欲しさに川原に行くけど、うちでは育たない。子供の頃は向かいの土地が長く空き地だったんだけど、その草地はタンポポやヒメオドリコソウ、ぺんぺん草(ナズナ)、ヨモギ、猫じゃらし(エノコログサ)など、雑草と昆虫の楽園だった。そんなのが子供の頃から目の前にあったので、草地への憧れが強い。バッタと共に暮したいぐらいだ。
でも道を挟んでうちの敷地は日陰で草が育たない。その空き地もアパートになってしまい、もう土さえ見えない。
うちにはぺんぺん草もタンポポも生えない。
庭でタンポポを育ててます なんて人をあまり聞かないでしょ。綿毛で飛んでってしまうから育てるものでもないのかも。東京でも畑や緑地、高速道路下の明るい空き地には残っているけど、三井住友三菱・・・ なんてのが引っくり返して現代的な住宅地にしてしまうと、タンポポやぺんぺん草は無くなってしまうんだよ。
だから 開発 という言葉も嫌いだけど、土建屋をはじめとして建設関係者は全て嫌い。人が暮すための最小限の建物は必要だろうけど、どう割り切っても割り切れない。デベロッパーなんて邪悪な鬼だ・・・ などと心の中の子供の自分が言っております。
商売ってのは結局人気取りだからね。
花が咲くのは人気取りのためではない??? いえ、鳥や虫を呼ぶために咲くのです。共存者を利用し共栄者にするためです。生存競争の中での人気取りと言っても差し支えない。
墨子は「人気取りのために義を行うのではない」というのだけど、人気取らぬと見せかけて人気を狙っていれば、墨子も中国を二分するような勢力になっていたかも。
迂直 人気を気にしないかに見せて、嫌われることは避けるというのも 競争の法。安直に人気を追う者は得られず、金で歓心を買うのは 自民党 の如し。
結局 無理に持ってきてもヒメオドリコソウは消える。放って置いてもヒメツルソバはやってきた。
墨子はちょっとだけ時局や人の欲を読み誤った。内容は今に通じて正しい部分も多いが、肝心な部分が欠けていた。
人が義を義として為すのは、名誉欲でないとしても、何らかの感情が伴うものだ。使命感だったり、責任感だったり、感情は人それぞれだが、教育の賜物であることは間違いない。
衣食足りて礼節を知る との管子の説は正しい。
日本は衣食が足りず、犯罪は増加傾向にある。自民党万歳だ。
虚偽を学ぶロシア人などは人を殺して憚らない。ロシア人やイスラエル人に義を説くのは、豚に真珠を与えるようなもの。中には例外的な人もいるだろうが、偏った教育や思想はないのと同じだ。
結局、人類は今でも戦争しているし、道理は通らず、侵略者の屁理屈がたとえ一時でも人気を得てしまう。
そして、うちの庭にはヒメオドリコソウは定着しない。分かっているのに望んでしまう。
春の低気圧 政倫審の亡骸も飛ぶか