一月中は年末に買ったビオラとアネモネが咲き続け、山茶花、侘助椿、八ツ手、白い水仙も咲いていた。蕗の薹はいつだろうと時折覗いたがまだ見ていない。一月末、二月目前となってから八重寒紅梅が咲き始めた。いつのまにか白い木瓜も咲いていた。
二月、次に咲くのはなんだろう。豊後梅はまだ先らしい。黄梅も気配を感じない。花が進まないと思っていたら日陰でこっそり咲いていたのがクリスマスローズの黒花だ。
なんだかんだ二月は一番寒いな。今シーズンは年末から十分に寒かったのに、二月は当然のようにもっと寒い。
庭に捨てていた果物も尽いたので、最近は鳥も来ない。林檎はあるにはあるが家人にやる気がなくて、皮をむかない。だからゴミが出ない。あくまでゴミを庭に捨てているだけなので、餌をやっているわけではない。一番寒い二月に食料が尽きるとは、鳥達の無事を祈るばかりだ。公園などのSNSでは次々と花が咲いているようでもあるので、食べ物は見つかるだろうよ。
そのうちに気分が向けばほけた林檎をむくかもしれない。ただただ、寒いので炬燵から手を出したくないだけだ。
寒いので手を出したくないのにブログを書くというは矛盾が過ぎる。デスクトップPCなので、手どころか体まで寒い。冬にブログ更新が鈍るのは間違いなく寒さでPC前に居られないからだ。Twitterも同じ。携帯では弄らない。PCでしか弄らないので冬は更新が鈍る。
一月にしたことの一つにPC内の掃除というのがあったな。ケースを開けて、マザーボードやファン周りの埃を掃除した。その際に床向きにつけていた廃熱ファンを天井向きに位置を変えた。
このファンは夏になると爪先に熱風を当ててくるので、暑いし熱いという苦痛の種だった。しかし、冬になると足下の暖房代わりにもなっていた。
冷静に考えれば分かると思うが熱い空気は上へ行くので、床向きより天井向きにした方が廃熱効率は良くなるだろう。ただ、床向きならば両面テープ程度で固定できるが、天井向きだと何か細工しないと固定できない。純正パーツではなく改造部分なのでファンを固定する部品がないのだ。
実は単純に天井向きファンを増設するためのパーツは持っている。3.5インチベイにファンを追加するパーツだが、付けられるのは中型ファンのみ。3.5インチベイの収まる薄型中型ファンをつけると静音を売りにしている製品でもうるさいと感じてしまう。
うちのPCケースの仕様上、CPUファンを含めた三機の中型ファンと一機のグラボファンが回っており、これに中型ファンを増設するとなかなかの不協和音を発することが判明! 懐かしいねぇ、若い頃の話さ・・・
しばらく使っていたけど、ちょっと転寝した時なんかにこの音が異様に大きく感じられて、天井向き中型ファンを外すことにした。懐かしいねぇ、若い頃の失敗だね。
で、後にミニファン(40×40)をケースの内側に直接両面テープ貼り付けることにしたのだ。想像以上に静かでファンが増えた感じがしない。でも近付くと結構な熱風を床に吐き出していて、夏は爪先が熱くてたまらなかった。でも、それだけの廃熱をしてくれているということでもある。
で、一月某日俄かに狭いPCケースと小一時間ほど格闘して、天井側のメッシュに小型ファンを吊り下げることに成功した。実に針金で引っ掛けて吊り下がっているだけだ。
これによって上向きの気流が生まれ、PCケースに埃がたまるということがなくなり、定期的に拭く必要がなくなった。そして床側のメッシュは吸気に転じたようで冷えた空気を吸い上げるような気流を感じる。
「めでたしめでたし」のようだが、結果的に冬は足下が寒くなり、しかも冷たい空気が微妙に流れるので一層寒いという、結局ジレンマはジレンマのままなのである。
若い頃にPCを自組みして、後に落雷も経験して不安になってHDDを一台外付けにした。一度に全てが死ぬ可能性を減らすためだ。そのHDDが空いたスペースでとにかく廃熱を意識した。熱が基板の寿命を左右するという信仰心みたいなものがあるからだ。
自分が最初に買ったPCはNEC製で、改造したのもそのNEC製PCだった。CPUをセレロンから中古のペンティアムに交換しただけだったが、これが心のPC熱に熱くさせた。その時に既に基板のコンデンサが液漏れし始めていたが、それから数年生き続け、ちょうどWindows7の頃に寿命が尽きた。後で知ったのはCPUの熱量でセレロンとペンティアムの発熱量の違いが基板の寿命を縮めたのではないかと小さな疑惑、小さな後悔を持つことになった。
今のPCは自分で組んだので多くを把握できているが、熱というのは詳細なデータがない。このPCケースには温度計が標準装備されていたが、液晶表示が死んでしまいわからなくなった。夏でも40度から42度だったので、問題はないはずだが、廃熱と気流の亡霊に魘されるのだ。
話を盛りすぎた。亡霊に魘されてはいないが、いつも「熱」を意識するようになった。
あと知人がPCで小火を起こしたという話を聞いて、PC周りの埃にも気をつけている。埃と廃熱と気流はワンセットで、それが基板寿命信仰へと変化したのだ。もうこれはわたしの信仰である。
ただ寒さと熱さのジレンマは解消できないまま。わたしの信仰は全能の神への信仰ではないので、どうしても矛盾を抱えてしまう。寒さは廃熱の成功を意味しているはずなのだが、鬱には熱が必要なのだ。セロトニンには熱が、温かさが必要なのだ。なぜ、自分はPCの廃熱で暖を取ってきたのだろうか・・・ これが寅年の罠なのか・・・
春など名ばかりで寒いじゃねぇか