東京の雨はまだ大したことはないが、風が強い。あまりに強い風音、風鳴りは不安を掻きたてる。
起きて庭を見ても鉢が転がるほどではないらしい。雨戸を揺らし、奇音を聞かせた風は、止んだわけでも無いようだが、耳で聞いた風と見る風では随分な違いがある。
ジャーマンアイリスが終わり、ドクダミ、ブライダルベールが咲き始めた。地味だね。三葉やユキノシタも咲いていたけど、いつから咲き始めたのか意識していない。
白い花は好きだけど、地味な花ばかりで賑やかさにかけるね。ツツジは散ったし、ミニバラなんかも咲き始めたけど、小さな鉢なのですぐに終わってしまう。
関東も梅雨入り間近でSNSでは気圧の変化での体調不良ネタが飛び交う。
自分はTwitterで五輪批判を繰り広げたが、これ以上は国内向けのtweetは無意味だと悟った。不支持8割とも言われる日本は拡大の余地がない。
海外向けにGoogle翻訳tweetを試みるが、五輪ネタは人気がない。
イスラエル批判もいまいちで、バイデン批判もいまいち。世界はもう批判に疲れているんだと感じたよ。ミャンマー軍批判も静かになり、政治に具体的行動がないことや、コロナ禍で下手に動けないこともあるんだろうが、なにもかも静かだ。
静かすぎる。こういう時は下手に動かない方がいい。空賊ドーラが言ってたな。
というわけでブログに何かを書こうと思うのだけど、なんもない。だって自粛してるんだもん。なんもない。YouTubeとゲームと例年通りの下痢の日々。
何も無いけど御城のゲームという気分でも無いし、YouTube関連ということで元AKBの峰岸みなみの雑感でも書こうかな。たまたまYahooニュースにもなってたし。
AKBのファンではないけど、最近になって動画で「恋するフォーチュンクッキー」をよく見る。そして、外国の48グループの各国語版フォーチュンクッキーを見て、平和に感動して泣いたりした。
BNK48なんて、ミャンマーの隣国だよ。Googleマップでの調べだと、バンコクから車で5時間あればミャンマーに入れるらしい。5時間先ではフォーチュンクッキーの意味は社会そのものの未来って話になるさ。女子が流し目で踊ってる場合ではない。
そう思うとコロナ禍といえどもこの平和さへの感動で涙が出てくる。きらきらした娘たちが踊る姿に感動して涙が出てくる。
と、そこで峰岸みなみ。坊主にした娘という以上の感想はないのだけど、平和を堪能しているようには思えない。Twitterのプロフも笑顔ではないし、YouTubeチャンネルに歌も踊りもない。踊ってると思ったら、ガチャピン依存。そういうのはお笑い芸人がやればいいのに・・・あんまり面白くないし。真っ向勝負で歌えばいいのにね。
どうせやることないんだろうし、童謡とかなんでも歌えばいいのにね。アレンジなしで素のまま真剣に歌えばいいだけなのに。ネタが無いと不安なんだろうね。ネタありでも大した視聴回数でもないし、内容的に広めようにも広めようが無いし、坊主にするぐらいの度胸があるなら、ネタなしで真っ向勝負すればいいのにね。短期的な結果を求めすぎだね。
きらきらした笑顔をマークとして残しておかないと、人の記憶に残らないよ。
学習としての最悪な記憶と報酬系としてのきらきらした記憶しか残らない。
という感じで、いつも残念な子だなと悲しくなってしまうのです。砲弾が飛び交うことのない場所で歌って踊れるのに、笑顔を作らないなんて。馬鹿みたいな笑顔を残して置くことがどれだけ大事なのか・・・ 笑いたいことが無くても演者としてでも笑顔を叩きつけて置くのがいいと思う。笑顔を叩きつけておけば、笑顔の少ない動画の印象も変わるだろう。
笑えない時に笑顔を見せるって大事な気がするよ。仕事という枠を越えてね。人として砲弾が飛んでいないことを喜ぶ姿勢って重要だ。
あまりにネットニュースで見た元AKBが明るくない空気なので、ぼやいてみました。
特にファンでもないのにね。フォーチュンクッキーを未だに聞くってだけなのにね。
YouTube 夏の歌は嵐をこなす